スクールカウンセリング事業の幕開け当時のこと
このサイトの運営者は、1995年(平成7年)のスクールカウンセラー事業の始まりから、現在までずっとスクールカウンセラーとしてお仕事をさせていただいております。1995年の当時は、学校の先生方もスクールカウンセラー自身もスクールカウンセラーとは何者でどんなふうに活動したらよいかということが全く分からないまま、手探りで活動していました。
当時、学校は「閉鎖的」などと言われがちで、そこへ入っていくスクールカウンセラーは、「黒船来航」に例えられるような状況でした。黒船はアメリカの国力を背景にして、江戸幕府に対して開国を迫るパワーを持っていました。今から思えば、スクールカウンセラーも当時の文部省を背景にして、学校に対して大きなパワーを持っていたのかもしれません。しかし、スクールカウンセラー自身は、学校で一人の前例のない心理職として学校へ入っていくわけですので、大きな不安と緊張で活動していました。
そんななかで、学校になじんでいくことに、色々と苦労がありました。心理職としての、専門性と先生方との考え方の食い違いに悩むこともありましたし、学校という場でカウンセリングを行う難しさを色々と感じました。
仲間の大切さ
本当に、五里霧中で活動が始まったのですが、今までずっとスクールカウンセラーとして活動し続けることができました。その理由は、仲間同士で支え合うことができたからです。当時は、月に1回、スクールカウンセラーで集まって、学校の状況を報告し合いました。
良い活動は、自分でも取り入れてすぐに実践しました。また、困ったことはその仲間に相談し合いました。どのスクールカウンセラーも手探りで活動をしていたので、明快な答えが得られるわけでもないのですが、一緒に考えてもらえることは大きな支えになりました。
こういった仲間との集まりには、必ず自分が作ったスクールカウンセラーだよりを持ち寄ることが慣例となりました。おたよりを発行することは、先生方にスクールカウンセラーを知ってもらい理解してもらうために役立つというのは、仲間同士の共通理解でした。仲間の作ったお便りを参考にして、自分もお便りを作成することもありました。それだけではなく、仲間に読んでもらうことが楽しみで、スクールカウンセラーだよりを一生懸命に作ったことが印象深く思い出されます。
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スクールカウンセラーのためのコミュニティの必要性
当時と違って今ではスクールカウンセラーについての書籍や情報は非常に多くなりました。しかし、スクールカウンセラーは学校でただ一人の心理職として活動するということは、当時と全く変わっていません。
こういった事情があり、スクールカウンセラーが活動を続けていくためには、同じスクールカウンセラーとつながれる場であるコミュニティが必要だと思います。その場でのつながりの中で、スクールカウンセラーは、心理職としての専門性を保ち、心理職として成長していくことができるのだと思います。
インターネットの発達と普及が進み、さらにコロナ禍によってオンラインでのつながりが広がりました。以前は、実際に集まってお互いの顔を見ながらつながれたのですが、今は、WEB会議やチャットでのつながりが多くなったと思います。
私たちスクールカウンセラーは、学校では一人の心理職ですが、孤立した存在ではなく、色々なつながりの中で活動していけるのです。そういう時代だからこそ、スクールカウンセラーだよりをインターネットで共有し、活用することも大切だと感じています。
「スクールカウンセラーだより」を通して、一人でも多くのスクールカウンセラーとつながり、活動をサポートし合うことができたら本当に有り難いです。
自作のスクールカウンセラーだよりをご提供ください
もし、よろしければ自作のスクールカウンセラーだよりをご提供ください。必ず、どこかのスクールカウンセラーの役に立ち、さらには、子どもたちの役に立つことにつながっていくと思います。
提供いただく際には、他者の著作権を侵害していない内容の物をお願いします。お名前や学校名などの固有名詞を伏せ字にするなどの修正もお願いします。ファイルを上のメールフォームからお送りください。
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子育てカウンセリング・リソースポート代表カウンセラー
スクールカウンセラー
半田一郎(公認心理師、臨床心理士、学校心理士スーパーバイザー)
著書の紹介